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誓真さん没後200年 遺徳を偲ぶ会 遺徳を偲ぶ会 記念植裁式
誓真大徳頌徳碑
   
 
 本日は、誓真さん没後200年の遺徳を偲ぶ会に残暑厳しき折、かつ又ご多忙中の所、ご参列いただき有り難うございました。
 私が、今年が誓真さん没後200年になる年と知ったのは、誓真大徳頌徳碑の碑文に、寛政12年(1800)8月6日に亡くなられたと書いてあるのを知り、新暦に乗っ取り旧暦8月6日にあたる本日に開かせていただきました。
 碑文には、金銀を施して造寺修塔をする者は、功徳があるとされているが、誓真大徳は竹木で器具を作ることを教え、島民の生活を豊かにし、井戸を掘り、町並みを整えて賑わいをもたらし、神社の霊験を高められた功徳は、造寺修塔に倍するものであると記されています。
 こうした功績に感謝して、明治31年(1898)町民が100年忌に追慕の法要を営み、今日生活できるのは、誓真さんのおかげであり、後の世の人に伝えるために、誓真さんの功績を記した、誓真大徳頌徳碑の建立を誓いました。しかし当時は、日露戦争・第一次世界大戦や、それにつぐ日中戦争さらに、世界恐慌など、建立の努力が実らず、実際にできたのは、約40年後の昭和12年(1937)になりました。
 私は改めて、先人があらゆる時代の波を乗り越えて、建碑の誓いを忘れず、親から子へ、兄から弟へ、姉から妹へ、世代を越えて努力された「感謝の心」「継続する志」の尊さを、学びました。
 誓真さんの生きられた時代から200年後の今日、私たちの衣食住の生活様式は大きく変わり、物質的には格段に豊かになりました。また国際化・高度情報化社会を迎え、特に情報技術革新はIT革命といわれる時代に突入しています。200年後の今、改めて誓真さんの生き方を学び、その遺徳を伝えられた先人に感謝し、来るべき21世紀が活力のある宮島となることを願っております。そして、私たちの次の世代が、盛大に宮島の恩人誓真さんの没後300年の遺徳を偲ぶ会を催すであろうことを念じております。
 最後に、100年忌を催された先人たちの努力に比べれば、誠にささやかな集いとなりましたが、本日の「没後200年・遺徳を偲ぶ会」を催すにあたり、光明院さんを始め、多くの関係各位の方々のご指導・ご協力と励ましの言葉をいただいたことに対し、心より厚く御礼申し上げます。
 
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