窪田次郎生家跡(くぼたじろう せいかあと)
窪田次郎は我が国の中でも数少ない地方啓蒙化で、1835年(天保6年)加茂町粟根で出生し13才で京都大阪に遊学、27歳の時にふるさとに帰り、父の医業を継承。1871年(明治4年)啓蒙所(小学校の前身)設立。その後、養蚕伝習所・地方開業医公開(医師会の前身)など医業に貢献。
井伏鱒二文学碑(いぶせますじ ぶんがくひ) 明治31年加茂町粟根にて出生。大正12年に早稲田大学を中退し、作家活動に入る。著書には「黒い雨」、「山椒魚」、「ジョン万次郎漂流記」など多くの優れた作品を随筆。その作風は哀愁をおびた詩情と独自のユーモア・庶民の生き方などを描く。
賀茂神社(かもじんじゃ) 清和天皇の貞観6年(864)京都上加茂の賀茂別雷神社の分霊を岩船に請してこの地に奉祀されたものです。
爾来この郷を加茂といい、鎮座の山を加茂山、前を流れる清流を加茂川と称し、その流域には北山、せりふ、高雄、岩倉、貴船、ただす等、京都ゆかりの地名多く、恰も小京加茂の観を呈しています。
石槌山古墳群(いしつちやまこふんぐん) 石槌山古墳群は2基の古墳からなります。丘陵先端部の第1号古墳と、南東側に第2号古墳とあります。第1号古墳は直径20m、高さ3mの円墳で、墳丘の裾の部分と中腹の斜面に石をめぐらせた列石があり、珍しい古墳です。
第2号古墳は、南東側に約20m離れたところにあり、直径約16m、高さ約2mの円墳です。
猪之子古墳(いのここふん) 直径12m、高さ3mの円墳で、内部は羨道の奥に横口の組み合わせ式石槨、羨道ともに古墳は古墳時代終末期(7〜8世紀)の地方豪族の墓と推定されています。昭和25年に広島県指定史跡となっています。
正戸山(しょうとやま) わが町の最南端部に位置し、その形は円墳の形をしています。昭和天皇がこの神辺平野で戦前に特別な大演習があったとき、この山から統監されたことで有名です。